|
|
[航空券] [ ツアー] [現地発ツアー] [ホテル][ゴルフ] [レンタカー] [鉄道] [保険] [ 法人サイト]
[お問い合わせ]
ブルガリアTOP MAP
ル セ 歴史:ルセはドナウ川沿いの大きな港町として、古来より西欧と東欧を結ぶ重要な拠点として栄えてきました。その歴史は紀元前5000年にさかのぼり、ドナウ川沿いに一つの古跡が発見され、地層、出土品の調査の結果判定しました。
出土品としては「土偶」土器」類があり、博物館に展示されています。 紀元前3世紀にはトラキア民族が定住し、ここで粘土質で口の長いツボ「アムフォーラ」ツボの口には両耳のような取っ手があり、ワインや水を入れるツボを製作し、ドナウ川を下り黒海沿岸の都市やギリシア、ロドス島その他の島々を巡りツボを売っていた。
紀元1世紀に入り、ローマ軍が侵攻しこの地に船団の基地を設置した。西欧への攻撃、守備の起点とした。ドナウ川は支流が数箇所あり、その幾つかが現在のルセ自然公園内「約30km内部」にまで流れている。船を使い内陸部との交信を容易にしていた。
ローマ語で船を「プリスティス」と言い、この地を「セクサグインタ・プリスティス」60隻の船’の意味で当時川沿いの港では最大とされた。
紀元5世紀に入りスラヴ民族が侵攻し、ローマ軍との戦いに勝利しこの地を収めた。紀元7世紀には東方より、ブルガール民族が侵攻しスラヴ民族と協定を結び、ローマ軍が築いた城跡に、より堅固な城砦を築いた。
この時期全土で協定が行われ、681年「ブルガリア建国」となる。都市の名前=ルセは、当時のブルガリア軍が基地に「守護神」として美しい少女を生き神として祭る習慣があり、この地では「ルサ」と言う名前の少女が守護神であったところが由来と言われている。
その後、守護神を「聖ゲオルギ」とし、ドナウ川を挟み、現在のルセを「ゴリャモ・ゲオルギエボ」対岸を「マルコ・ゲオルギエボ」と地名を設定する。現在ルセ対岸ルーマニアのドナウ川沿いの都市「ジョルジュ」は当時の名前が残っています。
ローマ字読みで「ゲオルギ」は「ジョージ」となる9世紀に入りブルガリアは国教として正式に「ギリシア正教」と制定する。14世紀に入り全土がオスマントルコ占領下に入る。
15世紀にはルセに、ルーマニアの「ブラドゥ大公3世」が侵攻し、占領下となり一時は自由の都市となる。捕虜となったトルコ軍兵士はブラドゥ大公の城で、5体を切断し串刺しの状態で庭に立てた為、「吸血鬼ドラキュラ」と呼ばれるようになった。
16世紀再びトルコ政権下に入り、都市名「ルスチュク」と呼ばれ、16世紀中頃からトルコ商人が西欧への交易起点とした為、経済成長が始まる。19世紀に入り、ルーマニアが首都をブカレストに設定した為、西欧から交易や要人がルセ港に来るようになり、船便が増加し港都市「ルスチュク」は急成長を果たす。
いち早く西欧文化が入ってくるようになり、ルセ〜ヴァルナ間には鉄道が開通した。非常に美しい西欧的な都市となる。
19世紀末には、革命家が「ルスチュク」を拠点として活動する。理由は、川を挟みルーマニアにはトルコ軍勢力が無く、ルセで活動し危険が迫ると対岸のルーマニアに避難し、活動の計画を企てていた。
1878年独立時は国内最大の都市であり、西欧文化がいち早く根付き国内最初の、映画館、銀行が出来、造船所が設立。
更には保険会社‘ブルガリア保険’が設立された。都市の建造物もモダンな西欧的な建物が多く見られた。現在も当時の建物が残っ ている。 |
|