カ ザ ン ラッ ク
ブルガリアのほぼ中心地にあり、国内の十字
路
的な
都
市です。また、スターラプラニナ山地の渓
谷
にはバラの
谷
があり、カザンラックのシンボルとなっている。
歴史
:
紀元前
4〜3
世紀にトラキア民族が最初に住み着いたとされ、地名を‘セフトポリス’ と呼ばれ、現在のカザンラックから
西
へ約
10
キロメートルの所で、セフトポリスを中心に約
1500
もの墳基を
造
ったとされる。只、現在セフトポリスはコプリンカ湖の湖底に沈んでいる。
1370
年オスマントルコ帝国侵攻により占拠され、オスマントルコ
軍
の
軍
事基地となる。
15
世紀中
頃
から手工
芸
が盛んになり、
50
種
類
の職種が存在したと
言
われる。代
表
的な物として、
銅製装飾
品、
銅製鍋
、木
製
器、
靴
、
金銀装飾
品、織物、皮細工、等である。 当時インドでローズオイルが生産されている事を知り、生産地とカザンラックの気候条件がよく似ている事から土地の人々はインドからローズオイルを
輸
入し、研究
開
発に着手する。 しかしオスマントルコ政権から独立と同時に、カザンラック経済は
衰退
していった。観
光
:
トラキア墳基
(
カザンラック
=
トラキア古墳
)紀元前
4
世紀に
造
られたとされ、内
部
の玄室の天井
部
には丸く描かれた、
見
事なフレスコ画があり
見
る人の目を
釘
付けにするでしょう。天井までの
高
さは
3.2
m、画の直径は約
3
m。
2300
年以上もの時を経た今でも、
色鮮
やかな
色
彩が保たれています。 このフレスコ画には人
間
の一生が描かれており、この画がユネスコに指定された一つの
要
因です。地球上最古の絵の一つと
言
われています。出土品
=金
、
銀
、
銅
の
装飾
品、土器、国内最大の墳基で、オリジナル出土品が展示されています。
トラキア墳基 シュシュマネツ
紀元前
5〜4
世紀に
造
られた墳基で、ここには他に例を
見
ない
造
りが施されている
。それは、内
部
に円柱の柱がそびえており、入り口には
馬4頭
、
犬
4
匹が埋
葬
されている。
|
トラキア墳基 ゴリャマ・コスマトゥカ
カザンラック墳基と同時期に
造
られたとされ、市内から北へ約
25km
の地にあり
ます。ここにはブルガリアに最初に住み着いたトラキア民族
(
オドウリス・トラキア
)
の王セフトV世が埋
葬
されています。出土品
=金
、
銀
、
銅
の
装飾
品、
鉄製
、
陶製
の
装飾
品、及び武器。
|
|
トラキア墳基 ヘルヴェツイア
造
られた年代は定かではないが、おそらく他の墳基同様紀元前
5〜4
世紀にかけてと思われる。
非
常に
興
味深い内容を持っており、他には無い入り口と出口があり、東の方
角
に入り口、
西
に出口があり、それぞれが
2
枚扉で入り口の
色
が
赤
で、出口の
色
が
黒
。入り口は
陽
が昇り、全ての新
鮮
な物の扉とされ、出口は
陽
が沈み悪いエ
ネルギーが外へ出て
行
く扉とされた。
|
トラキア墳基 グリフォンス
紀元前
5〜4
世紀に
造
られた墳基で、入り口にはライオン
1頭
、
鷲1
羽が埋
葬
され
ている。この墳基により現在の東欧にもライオンが存在していた事が
証
明される。
|
トラキア墳基 スヴェティツア
造
られた年代は定かではないが、埋
葬
品からの想定としてトラキア王テレスが埋
葬黄金
のマスク
=
600
グラム、
21
カラット金
の指
輪
、
金製
印章、武器 とされる。
|
トラキア墳基 ゴリャマアルセナルカ
この墳基の特徴は、中心に太
陽
がありその周囲には
3
つの石の
輪
が意味を成してい
ます。太
陽
に一番
近
い
輪
は‘地獄’次に‘現世’
3
つ目に‘天国’の
順
となっている。
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イスクラ博物
館
1901
年に
開館
された。
5
万点を
超
える展示品数があり、全てオリジナルであり
ます。カザンラック圏内で出土した物、コプリンカ湖湖底
都
市セフトポリスから揚げられた物がメインに展示されている。
開館
時
間=9
時
30
分
〜
17
時
00
分
|
トラキア墳基 オストゥルシャ
造
られた年代は定かではないが、内
部
には美しい女性の壁画が保存されています。首
を傾げて何かを問いかけている、そんな
風
に
見
えます。
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されている。と紹介されています。埋
葬
出土品は
非
常に
豪華
な
装飾
品で、
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メガリテン・コンプレックス
市内より
6km
南方の村、‘ブソヴグラド’には
謎
の岩のモニュメントがあり、恐ら
くトラキア人が岩を積み上げ祭壇に使っていたであろう。とされるが、この岩から
太
陽
、月、星を
見
て暦を
計
算し、占いをしていたとも
言
われている。
又、
銅製
のマスクは‘太
陽
神の母’として祭られています。トラキア民族は太
陽
を神
として崇めていました。残念な事に、トラキア民族は文字を持たなかった為、トラ
キア
遺跡
は
詳
細がまだ分かっていない
部
分が多くあります。一
部
のトラキア人はギ
リシア
語
を使っていた。と
言
われています。
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